「待つのが親の仕事」というけれど【子供が超マイペースすぎて日々悩む】

子育てから学んだこと
Image by Terri Cnudde from Pixabay

子供って思い通り動きません。

自分とは別のれっきとした「人間」なんだから当たり前。

そうわかってはいても、待ってあげたいと思ってもそれもなかなか厳しい。

なぜならこちらも人間であり、フルタイムで働いていて、家事もして、やりたいこと・やってあげたいこともあって、時間が無限にあるわけじゃないから。

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マイペースすぎる娘と親の時間のなさについて

私の娘は早5歳になりました。

来年度は入学準備をする年です。

そんな今の一番の子育ての悩みは「子供がマイペース過ぎること」

(今というか、保育園に入園してからずっと悩んでる)

個人面談で言われる程のマイペースで、3歳・4歳の頃を思えばそのマイペースさも落ち着いてきたとはいえ時間がないときは特にイライラしてしまいます。

保育園でも外遊びで靴を履いて用意するのもいつものんびり一番最後。

給食の準備も一番最後。

そしてお友達がさっと準備して自分が最後になってしまうのが嫌だ、と。

家でも何事もそんな感じで想像に難くないです。

特に朝のマイペースは困ったもの。

困る通り越して死活問題ですよ。

子供のペースに付き合っていたら仕事に遅刻してしまうため急かしたり手を貸したり。

早起きしようが何だろうが、なぜかギリギリになってしまう。

時間がなくて待てないときにふと頭に浮かぶのは「待つのが親の仕事」という言葉です。

でもそれ、「時間的にいつまでも待ってあげようね」という意味ではないんじゃないかと思う。

盲目的に子供に合わせるのは学びの機会を奪う?

もし家事も仕事をしていなくて時間の制約が全く無いのであれば↓

  • 朝子供が何時に起きてもOK
  • お着替えに時間がかかりすぎてもOK
  • ご飯が遅くてもOK
  • ご飯を用意したあとなかなか食べなくてもOK
  • おもちゃを片付けなくてもOK
  • お風呂に入りたくなるまで待ってあげる

どれだけ待たされても時間的余裕さえあれば待ってあげられる。

(そんな時間の制約のない親というのはなかなか少数ですが)

それって本当に子供のためになるのでしょうか。

親は思い通りに動いてくれる。

家では自分が王様。

それは本当に愛情なのか。

たまになら上記のようにダラダラ過ごすのはむしろいいことと思うけど、毎日子供のペースだけに合わせ怒らず付き合うというのは本当に学びになるのでしょうか。

ひたすら子供の都合に合わせる=「待つ」ではない

一時期「親は待つのが仕事なんだ」という言葉に縛られすぎて、朝の忙しい時間でも「向き合わなきゃ」「子供のペースを尊重しなきゃ」と必死だったときがありました。

でもそうやって子供の気持ち・ペースにずっと合わせていくことが本当の意味で「待つ」ということなのか?

待てば待つほど動きません。

「時計の長い針が9になったらお家を出るよ」

「お片付け、手伝うから、ゆっくりでいいからやってみよう」

そもそもフルタイムで働いていて、全て子供の調子に合わせるなんて不可能です。

何より「人を待たせて当たり前」ではない。

自分の遊びたい気持ち・ダラダラしたい気持ちを常に優先させて、相手がいくら親しい人でも「待たせて当たり前」ではない。

そのへんも学んでいってほしい。

例えば、指先がまだ不器用でボタンがうまくはめられない。

でも自分でやってみたいと挑戦する。

しかし5分後には家を出ないといけない。

そんな状況でも「気が済むまでやってごらん」は違う。

「もう時間がないからやらなくていいから!」と怒るのも違う。

やってみたい気持ちは認めつつ、チャレンジできるタイムリミットを決めて、そのリミットが過ぎてしまったら泣こうが喚こうがこちらが手助けするしかない。

手を出してほしくないのであれば、時間があるときに練習して次は自分で出来るように子ども自身がしていくしかない。

親はそれをサポートするしかない。

「無限の時間を使って子供の要求をいつでも飲む」というのは「待つ」ではない。

子供が「理解する」から「出来る」に成長するのを待つ

赤ちゃんは言葉を喋るより先に、たくさんの言葉シャワーを浴びてまず「聞ける」ようになる。

走り出す前に歩けるようになる。

発達には順番があって、年齢をすっ飛ばすこともできない。

頭で理解はできても、「これがやりたい」「我慢したくない」「これは嫌だ」を大人のようにコントロールする力はまだないのでしょう。

(悲しいことに、私だってそのへんをコントロールする力が完璧だとは言えません。)

だから、超マイペースの今ですが5歳にして「理解できている」だけでそれはすごいことなのですよね。

ワンステップ進んだ「行動に移せる」は成長を待てば解決する気がするし、実際長く悩んだマイペースですがその悩みが明ける兆しもちょいちょい見えてくるようになりました。

「靴を履く、用意をする」などをタイムリミットが来てしまって私が手を出すと、今までは「自分でやりたかったのに!!」と癇癪を起こしていた。

それが「仕方ないから今はママに手伝ってもらう。次はまた自分で頑張ってみる」となってきた。

時間や数字という概念に興味を持ち始めたのが「次」という気持ちに繋がっているのかもしれません。

成長して解決していくのを「待つ」

子育てって生まれた瞬間から想定していなかったような悩みの連続。

「寝ない」だとか「起きない」とか、ご飯を食べるスピードだとかイヤイヤ期の暴れっぷりとか。

今まで散々悩んできて、でも気づけば悩みの大半はただ成長を待てば自然に解決していくものばかりだった。

「時間的に待てない」から工夫をするし、悩むし、試行錯誤して子供が自分で動けるよう環境が整うよう考える。

イライラしつつそれをぶつけずアンガーコントロールに努める。

そうやって親力を育てる努力をしつつ成長による解決を待つ。

それがほんとうの意味で「親は待つのが仕事」なのだと感じています。

そう理解はしつつも余裕(特に時間的余裕)がないとつい怒ってしまうときもあり反省の毎日なので、ほんとうの意味で待てる親になっていきたいです。

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