”小学生 娘”と検索すると
よそのご家庭のお子さんの可愛い自慢聞くのって嬉しいし楽しいですよね。
誰かの娘自慢聞きたいな~って気持ちの時に”娘 小学生 可愛い”とかで検索してみると、出てくるのはこんなワードたち↓


以前なんて「娘 可愛い」と検索しているのに、なぜか、「息子は可愛い」の記事が出てきてモヤっとした。
「かわいい」っていうワードも出てくるけど、上位に表示される記事は「小学生の娘にイライラします。」的な記事でちょっと悲しいです。
子供は思い通りに動かないし、生意気くらいでちょうどいい
我が家の娘は小学3年生になりました。
もちろんイライラする時もあります。
でも、たまらなく可愛いです。
だから、「小学生になったら可愛くなくなっちゃうのかな」と心配な人がもしいたら、安心して欲しい。
小学生にもなるとどんどん自我が確立されていって生意気発言も多くなる。
当たり前です、自分とは別の一人の人間なんだから。
思い通りになんて動かなくて当然なんだから。
上記のような「娘嫌い!」な記事や検索が、切実に困っている親の気持ちを和らげる時だってあると理解しています。
私も困った時はネットに解決法を頼ることもある。
「腹立つ~!」となった時によそのご家庭も同じだなと知ると、なんか気持ちが落ち着くときもある。
でも、可能なら、”小学生 娘”と検索した時、トップで表示されるのは思い切り可愛い自慢している記事でもいいんじゃない?と個人的には思うのです。
小学生娘の可愛いところ
自立と甘えん坊のはざまにいるところ
自分の子供時代を思っても、小学校の時ってちゃんと自分の意見があって、やってみたい気持ちがあって、親にコントロールされるのがとてつもなく嫌だった。
きっと今娘もそう思う時もあるんだろうなと想像しています。
お友達といる時のちょっと背伸びをしているところ。
転んで怪我して、平気な顔して帰宅したのに私の顔を見た途端「痛かった」と泣き出すところ。
甘えたり、挑戦したり、学校で色んな気持ちを体験したり、そうやってどんどん成長していく姿を間近で見られるのは幸せです。
そして、そんな姿がとんでもなく愛しい。
ママ大好きで優しい
学校の帰りによくお花を摘んできてくれる。
「ママにプレゼント」と小さなお花のついた名前も知らない草なんかを、大事そうに渡してくれる。
キーホルダーなんかを真剣に作って「あげる」と嬉しそうに渡してくる。
今日は四葉のクローバーを見つけたそうで、「ママに早くあげたくて走って帰ってきた!」と息を切らせて帰宅。
ママの願い事がなんでも叶うよ、とのことです。
さらに、ローマ字を覚えたてのため「練習する!」と言って紙に一生懸命「MAMA DAISUKI」「MAMA ITUMO ARIGATOU」と書いたりする。
私の古い電子辞書にも「MAMA DAISUKI」と打つ。
廃材を並べて「まま すき」を作る。
なんでここまで好いてくれるんだろうと思うほどにママが大好きです。
まだまだ心の中に母親用の椅子をしっかり用意してくれている様子がたまらない。
こんな風に言ってくれる娘に何をしたら報いてあげられるのだろうと考えさせられる日々です。
おしゃべりが達者
今日学校であったこと、自分が興味あること、将来やりたい事、ちょっとした愚痴。
まだまだ何でも素直に聞かせてくれる。
伝える能力が発達してきて、でもまだ言語化できずに本人がモヤモヤしていることもあったり。
「そっか、こんなことを考えているんだな」と気づかされることも多いですし、一緒に爆笑することもあるし、会話という面では幼児期よりも今の方が楽しい。
半面、しゃべり方の雰囲気や声は幼児期と変わりません。
めっちゃ可愛い。
しゃべりが達者になっただけです。
もちろん宇宙後も変な言い間違いもしませんよ。
それでもあの頃のしゃべり方の面影が残ってる。
ちょっとしたことですぐ拗ねる
幼児期や1年生のように癇癪を起すことはなくなってきたものの、家ではすぐ拗ねる。
特に疲れている時。
- トランプで負けた
- 私が思うように動いてくれなかった
- 「もう寝るように」と私に促された
そんな些細な事がきっかけです。
些細だけど、本人にとっては大きな出来事なのでしょう。
拗ねると布団の中で丸まってたりして、声をかけても怒るか無視してくるため、気持ちが落ち着くまでそっとしておく。
そうすると、落ち着いたころに戻ってくるので「〇〇が嫌だった?拗ねた気持ちになっちゃた?」等確認すると「うん」と素直に認めて、自分が感じた気持ちを教えてくれます。
単純なような複雑なような、プライスレスな可愛さ。
布団の中でかたくなにふてくされているのも本人には悪いけどちょっと面白い。
といっても自分に余裕がないと私もつられて拗ねちゃうんですけどね。
まだファンタジーの世界の住人である
まだ片足は半分ファンタジーに突っ込んでいる時期です。
サンタは心の中にいて、空を生身で飛ぶ何らかの手段があると思ってる感じ。
ちなみに、以前しっかりしている6年生のお友達と一緒に遊んでいる時、その6年生の子もファンタジーの世界でした。
子供が長く子供でいられるのって、大人になってからの心の安定を左右するくらい大切なことだと思っています。
何より、子供はよく寝てよく食べよく遊んでほしい。
私には思いもつかない発想で膨らましていく世界を楽しそうにおしゃべりしている姿は、愛おしいものです。
先日は、自分で考えた「海の中の公園」を興奮しながら詳細を教えてくれました。。
子供の頭の中のファンタジーを具体的に共有させてもらえるのは、「言語能力の発達」かつ「素直さ」の双方が両立している小学生時代だけの特権ではないでしょうか
可愛いはずの小学生にイライラする理由
「もう○○歳なのに」とハイレベルなことを無意識に要求してしまうから
一人っ子の場合顕著ですが、今の年齢よりも遥かにハイレベルなことを無意識に求めてしまいがちです。
「今の年齢マイナス2歳」と考えて接すると、無理のないレベルを当てはめやすい。
今8歳だとして、「自分が要求しているレベル(例えば言われなくても明日の準備を一人でする等)を6歳の子が出来るか?」と考える。
おそらく、6歳(年長)なら親からの声掛けや仕組みづくり、手助けが必要なはずです。
6歳で時計を見てひとりで完璧に動くよう求める親は少ないのではないでしょうか。
例えば、時間の概念が体感的に身につくのは早くて2年生。
それに伴い、3年生頃から時間を見て動けるようになってくる。
抽象的な概念を理解できるようになってくるのも3年生頃からです。
でも、小学校に上がった途端、「もう小学生なのに」と自分で時計を見て動くのが当たり前にできるように要求してしまう。
「同い年で出来てる子がいるんだから、自分の子供にも出来ていて欲しい」という気持ちも湧いてくる。
勝手に期待を裏切られた気持ちになる。
能力の発達的にまだ難しいことを子供に求めて、出来ないと失望してイライラし、子供自身もそんな自分に自信を失くしていく。
そんな負のループに陥らないよう、出来ていること・出来るようになっていることに意識して目を向ける必要があるのでしょう。
子供の自我が育つとともに、思い通りに動かなくなるから
幼児の頃は、イヤイヤ期があったとしても、子供の選ぶ選択肢は比較的親が誘導しやすい。
でも学年が上がっていくにつれて、子供自身も確固とした自分の意見を持つようになる。
それはとても喜ばしい成長なのだけど、親にとってはイライラが募ることもある。
我が家では現在、娘が某ユーチューバーにハマっていますが、そのユーチューバーは叫びながら実況をしているだけでとにかくうるさいです。
私は聞きたくない(けど、YouTubeは私がいる時に視聴OKにしているため別室には行けない)。
娘はクラスで流行っているユーチューバーだからどうしても見たい。
子供と話してお互いの妥協点を探し、試し中です。
親の意見だけごり押しにならないように。
幼児の頃なら眠ってる顔をリモコンにでも貼って「リモコンさんねんねしちゃった、YouTubeはしばらくお休みだね」と言えば納得してくれたことも、小学生にもなると納得するよう意見をすり合わせてお互いが妥協できる範囲を探る必要があります。
それは、子供が自分の人生を歩んでいくうえで大切な勉強の一環になる。
「怒鳴りつけて抑えつけて言うことを聞かせる」というコミュニケーションが通用するのは思春期が始まる前まで。
抑えつけた分は思春期に反抗となって自分に返ってくるだけ。
だから、「なんでそんなことするの!」と強く思う時ほど子供の気持ちを聞く必要があると肝に銘じて努めています。
親に余裕がない時に限ってアクシデントがおこるから
寝不足・疲れている・お腹が減っている・時間がない。
強く言ってしまった後に「あんなに言う必要なかった」「どうして怒ってしまったんだろう」という時は、基本上記のどれか。
私が怒ってしまう時は、ほとんどが疲れている時です。
以前、外出中に、娘が1日の中で3度もリュックを置き忘れたことがありました。
電車の中・トイレ・ベンチにそれぞれ置き忘れ。
一回目は穏やかに注意して、2回目は若干イラっとしつつも穏やかに対応。
でも3回目で怒ってしまった。
よく考えたら、娘も外出でテンションが上がっていて、そういう時は注意力が散漫になるから私が注意して見てあげないといけなかった。
そもそも私も疲れていて、娘がリュックを背負っていないことに気が付かなかった。
置き忘れたことも取りに行ける範囲内で娘が自分で気づいて、私にちゃんと伝えることができた。
それを誉めてあげればよかった。
「今日はそういう日だね、置き忘れデーだね」と笑って流してあげればよかった。
ただ、そういう対応は自分に余裕があるときしかできない。
失敗を怒っても、「怒られた=今後は失敗を言わないようにしよう」に繋がる。
そうなると困るのは本人だけじゃなく、ゆくゆくは親も困りますよね。
自分の中の余裕の一部は子供のために他には使わず大事にブロックしておくくらいが良いのでしょうね。
子供もがんばっているから
小学校はストレスフルだと思う。
時間に合わせて動かないといけない。
色んな子がいる。
色んな先生もいる。
テストもあって、通知表で評価されるようになる。
習い事や塾もある。
初めての経験に囲まれて、大人よりも心が柔らかい分、ちょっとしたことが子供の中では大事件のはず。
(知らない子と話した、物を失くした、席替えがあった等)
レジリエンスの力を鍛えるために必要なことも、子供にとっては大きな勇気や痛みを伴うこともあるでしょう。
大人が思っているより、子供は外の世界で頑張ってきて疲れているのだと思う。甘えられる親に、わがままをいったり、雑な態度をとったりもするでしょう。
小学校に上がった途端、生意気になったりもするでしょう。
我が家はこれからだけど、思春期にそっけなくなったりもするのでしょう。
あまりにひどい態度なら諫めるのも親の仕事だけれど、「今日も頑張ったね、疲れたね、家で好きに休んでいいんだよ」と態度で示すのも親の大事な仕事だと思う。
そして個人的には、「理想的な生活習慣を確立すること」と「家では力を抜いて過ごしてほしい」という気持ちが相反する時に、強い葛藤とストレスを感じてしまいます。
そんな時は目標を再確認します。
今の私の親としての目標は、頑張り疲れた子供をあらゆる手で急かして動かすことなのか、それとも気持ちを落ち着かせる手助けをすることなのかと。
自分の中で妥協できる境界線はどこなのか。
そして、子供の中で妥協できる境界線はどこなのか。
子供たちが大人になった時に「子供時代の自分は、親にしっかり甘えられた」という実感を持ってほしい。
だから、子供の頑張りを認めて伝えられる大人でいられるよう意識していきたい。
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