しゃぼん玉を見ました。
劇的なBGMもないしアドレナリン出まくりな映像表現もありません。
その分余白で伝わるものが多い静かに心に刺さる映画です。
いい意味で邦画感が強い作品。
なにより宮崎の山奥の風景が美しすぎて、それを見るだけでもなんだか癒されていく。
ああ、山行きたいなぁ。
(山の場面はリアル「もののけ姫」みたいな風景です)
あらすじ
Amazon プライムビデオ説明文より
親の愛情を知らずに育ち、女性や老人だけを狙った通り魔や強盗傷害を繰り返してきた伊豆見翔人(林遣都)。人を刺し、逃亡途中に迷い込んだ宮崎県の山深い椎葉村で怪我をした老婆スマ(市原悦子)を助けたことがきっかけで、彼女の家に寝泊まりするようになった。初めは金を盗んで逃げるつもりだったが、伊豆見をスマの孫だと勘違いした村の人々に世話を焼かれ、山仕事や祭りの準備を手伝わされるうちに、伊豆見の荒んだ心に少しづつ変化が訪れた。そして10年ぶりに村に帰ってきた美知(藤井美菜)との出会いから、自分が犯した罪を自覚し始める。「今まで諦めていた人生をやり直したい」――決意を秘めた伊豆見は、どこへ向かうのか…。(C)2016「しゃぼん玉」製作委員会 原作:乃南アサ『しゃぼん玉』
両親に捨てられた子供と、育て直し
父親は若い女性と不倫して出ていき母と離婚、母親も男性と弟を連れて出ていく。
その後心理的にずーっと一人ぼっちで生きてきた林遣都演じるイズミ。
自分より弱い者からひったくりでお金を奪い、自分の人生を諦めていた。
親からまっとうな愛情を注がれなかったゆえに非行に走った少年の更生には「育て直し」という疑似家族からの愛情を感じる体験が必要だと昔何かの本で読んだ。
まさにイズミとスマは疑似家族。
親からは言われたことのないであろう言葉をスマはくれ、おにぎりを作り、服を用意し、イズミの心に変化が訪れるまでただ穏やかに待っていてくれた。
「育て直し」はイズミからみた視点だけではない。
自分の子供に本当にしてあげなければならなかったことを他人のイズミにすることで、スマ自身の心も癒しているのではと思う。
スマも一人で暮らし、息子夫婦は離婚。
孫にも会っていない。
(村の人々とのあたたかなつながりはあったけれど)
親が何よりも子供にしなければならないのは、態度・言葉により信頼を伝え続けること=存在の肯定だと個人的には思っている。
「都会へなんてやらなければよかった。お前は手元に置いておかないといけなかった」のようなセリフをスマが息子へ言うシーン。
本当は手元に置いておくとかそういう問題ではなかったと、スマ・息子ともに分かっているのではないでしょうか。
スマの息子も心に穴が空いているのでしょう。
スマがどのように息子に接してきたかという描写は少ないですが、後悔が深いからこそのイズミへのあの態度につながるのではと思います。
存在を肯定されるということ
スマおばあちゃんはイズミを全肯定してくれます。
「坊はええ子」「気付いたときに直せばええ」
おじいちゃんも遠慮なく言いたいことをいうが、だからこそ「お前はやればできる」という言葉が真実味をもって聞ける。
ミチも「みんなが親切なのはあなたが親切だから」と言ってくれる。
存在を全肯定される体験って、精神的に安定して生きていくうえで最も大切なこと。
本来子供時代に養育者から与えられるはずのその全肯定を、全くの他人が与えてくれる。
しかし彼らがここまでイズミを全肯定してくれるのは、「彼らが聖人君子で純粋」だからではありません。
スマにとっては自分の子にしてこなかった贖罪なのではと感じます。
イズミが冷蔵庫の中で札束を見つけた様子に、スマは息子を重ねてしまったのかな。
「泥棒だったのか?」という言葉が出てしまう。
元々泥棒のようなものだったイズミが「自分を泥棒と思われること」に大変なショックを受ける。
きっと、スマの家に来たばかりの自分の人生を諦めている頃ならあんなにショックは受けていない。
「どうせ自分は泥棒だし」と。
イズミが罪をスマに告白するシーンでは、罪を犯したことを知ってなお「坊はええ子」「ここで待ってる」と言ってくれる。
そんな風にどんな自分も肯定して待っていていくれる存在がいることを知った今、彼は逃げずに生きていけるようになった。
何かを奪うために使っていたナイフを、スマを守るためにポケットに忍ばせたように。
願わくば、スマにはあの夜中のシーンで息子にも「気付いたときに直せばええ」「あなたはええ子」「待っている」と言ってあげて欲しかった。
私にはあの息子は、お金ではなく「別のもの」を求めて暴れて苦しんでいるように見えて悲しかったです。
(だからといってお金を持って行ったり暴れるのはダメなんだけど)
罪の意識。これからがこれまでを変える
誰でもどんな人でも、心には暗闇や穴を持っていると思う。
どれだけ幸せそうに見えても外に出さなくても、そうは見えなくても人間ならみんな。
あの村に来る前のイズミには、自分以外の人はみな幸せに見えたのかな。
「幸せなんだから、不幸せな自分はひったくりくらいしたっていい」と感じていたのかな。
ミチからしたら「イズミは自由でうらやましい存在」でした。
ただ、その「自由」の裏でどれだけ彼は心を踏みにじられてきのでしょう。
そうはいっても、やはり自分が踏みにじられたからと言って人を踏みにじってはいけないのです。
少年院でも上映会が開かれたそうです。
心を溶かすものってなんだろう。
どんな人でも生きていくと決めた以上は「これから」を考えなければならないし、「これまで」にとらわれてばかりいられません。
全ての人が「あなたはあなたでいいんだよ」と言ってもらえる世界だったらいいのにな。
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