2歳児が、今まで教わらなかったことを言動でいとも簡単に教えてくれる

子育てから学んだこと

2歳の娘と暮らしていると、毎日が学びの連続です。

「知識」としてではなく「実感」として、様々なことを教えてくれる。

それも、自分の親は決して教えてくれなかった類のこと。

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どんな言動にも理由があるということ

「ジュース屋さん行きたい!」と駄々をこねていたのが、ただのワガママではなく、

”元気がないママ(=私)に自分が元気が出る方法(=喫茶店でジュースを飲む)で元気になってもらおう”

という優しさだった知った時。

「ご飯のおかずを食べずにつつき回している」ようにしか見えなかったのが、”野菜の断面が綺麗でキラキラしてたから、いろんな角度から観察していただけ”だと本人が教えてくれたとき。

一見無駄にしか見えない行動に、子供なりの意味があると知る瞬間が多い。


だから意味のなさそうなことをしている時ほど、分けのわからない言動やひっかりを感じる言動をしている時ほど、その裏にある子供の気持ちを想像するようになった。


人が行動するのに「理由が何もない」なんてのは本当はひとつもないんじゃないか。

大人も子供もね。

こどもは自立した意志のある一人の人間だということ

子供は親の分身ではないし、大人の指示通り動かすものでもない。

というか、そんな風にいいなりになんてしたくない。

”今日着る服”

”今日食べるおやつ”

”トイレに行くタイミング”

”服を大人が着せるか、自分で着るか”

”どの絵本を読むか”

”今日はどの散歩コースにするか”

”そもそも散歩をするかどうか”

ついつい赤ちゃん時代からの流れで大人が手を出して決めてしまう時ってないですか。

でもそれは、子供のタイミングに合わせて少しずつ「選択」を委ねていかなければいけないと思う。

たとえ2歳でも。

(実際の今の能力としてそれが実行出来るかどうかは別として。
「新品のビンの蓋を開けたい!」と決めてもまだそんな握力はないけれど、一度やって”出来ない”と知ることはとても大切だと思う。)



子供だって嫌な時は嫌で、やりたい時はやりたい

気分とその時その時の意見がある、自分とは違う一人の人間

そして子供の心は大人より移り変わりが激しくて、表現もエネルギッシュ!!

ネガティブな感情は長くは続かないこと、時には人間はイライラしてしまうこと、不安には対処法があること。

子供はそういうことを知らない。知らなくて当然。

今それを全力で体感して学び続けている、意思をもって。

感情を爆発させているのをみると、「あぁ今日も頑張ってるなぁ」と感じるようになった。

こどもの対応できるように親も学び、昨日よりも成長する必要があるんですよね。

可能な限り、子供の伸びる力を邪魔しないでいたい。

毎日が真剣勝負だということ

子供にとって日々の出来事のひとつひとつが面白くて意味のあるものなのだと見ていて感じる。


言葉で伝えるのも真剣。

泣くのも全力。

遊ぶのも真剣。

セミの抜け殻ひとつで30分でも遊ぶ。

その心底真剣な様子が可愛い。

”今”に集中してて、一日中瞑想しているのと同じでじゃない?

大人はトレーニングしないとなかなかできない”今に集中する”と言う行為を、子供はいとも簡単にやっている。

親に無償の愛情や絶大な信頼を抱いてくれているということと、その重み

本来は「親が無償の愛を注ぐことで子供が自己肯定感の芽を育むことが出来る」というのが順序だと思う。

でもそれって相互作用的な部分がある。

私は自分に自信がなくて、自分で自分を肯定できなくて、価値のない人間だと思っていて、ずっといなくなりたいと感じていたくらい自尊心が低かった。

今は真逆ですよ。

私は私でいいと心から思う。


それは娘がずっと信頼を態度と言葉で伝え続けてくれたから。

私はもらった以上を娘に返していきたいと決めています。

文字通り、子供が人生を変えてくれた。

「子供が私の人生のすべて」ではないけれど、ここまで価値観を変えてくれる出会いがあったことは大切にしたい。


まとめ:子供のように生きたい

好奇心を失わず、成長することを諦めず、過ぎて行ってしまう「いま」を真剣に生きていきたい。

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