コロナも落ち着き保育園にも無事通えるようになって来たら転職活動をしようと思っていた。
少しでも多く稼げて、通いやすくて、続けやすい仕事。
それで安定して稼げるようになったらクレジットカードに申し込みをしたい。
でもいざ始めると、とても怖く感じてしまう。
「応募してみたい」と思う求人を見つけてブックマークして、何度も見て、それだけ。
応募する勇気が出ない。
母子家庭が職希望でやってきたら迷惑なんじゃないかという思い込み
結婚前に働いていたとき母子家庭の方が途中で入社してきたことがあった。
特に何も思わなかった。
よくお子さんの体調不良で保育園から呼び出されていたから、「大変だな」と思うくらい。
とても朗らかでいい人で大好きだった。
でも何も気にする必要ないのに、保育園からの呼び出しがかかるたびにとても申し訳なさそういにしていた。
今ならその気持ちが分かる。
面接に行ってかならずしも「母子家庭かよ」と思われるとは限りません。
(昔働いてた私の当時の職場みたいに。)
なのに「面接でこういわれたらどうしよう」「なじめなかったらどうしよう」ばかり考えてしまって前に踏み出せない。
何がそんなに不安なのか?「認知の歪み」を整理してみた
今の私の状態は「起こる確率の低いこと」「起こっても実はたいしたことではないこと」をマイナスに信じ込んでしまう認知の歪みが根強い状態なんだと思います。
それを正すには、
「自分が不安に思っていることはなにか」
「それが実際に起きたとして、本当に今後に強い影響を及ぼすのか」
をチェックしていく必要がある。
このままでは転職できないため、いったん整理してから前に進んでみようと思います。
圧迫面接が怖い
地元での仕事を辞めざるを得なかった新婚の頃、新たな地でワクワクしながら正社員の面接に行くたびに言われたこと。
「今後子供が出来たらだれが面倒を見るの?」
「新婚だから、子供が出来る可能性が高いと思うけど」
地域柄なのか、嘘でしょと思うほどまだ生まれてもいなかった子供のことばかりだった。
「新婚の人がなんで働くの?」という態度で、地味にダメージでした。
(面接官がおじさんばかりだったからかもしれない)
ここから私の面接恐怖は来ているんじゃないかなと思う。
あと、学生時代の就活の圧迫面接やリーマンショックの就職難で内定全然もらえない経験。
今怖いのは、迷惑そうな顔で↓
「子供が熱を出したら誰が見ますか」
「参観等で休む頻度が高いのではないですか」
と言われること。
圧迫面接のように迷惑そうに言われたら、落ち着いて「病児保育を検討しています」と言える気がしない。
でもよく考えたら、こちらから「子供が熱を出しても休める職場かどうか」を確認しに行く感じで面接に行けばいいんじゃない?
その質問を聞かれて面接に落ちたとして、面接に行ったことを3カ月後に後悔していると思う?
きっと面接に行かなかったことの方が後悔する。
確かにマイナスな態度を取られることはショックだし怖い。
でも、面接の時点でマイナスな態度をとるような場所が「勤めやすい」わけがない。
「候補が絞りやすくなった」と思って次に行ったらいいし、一つ面接へ勇気を出していけたら、落ちたとしてもその後の励みになるのでは。
求人は一つじゃないんだから。
子供の体調不良が頻発しないか
もし就職できても子供の体調不良が頻発して、職場に居辛くならないか不安。
アプちゃんはそんなに風邪をひく子ではないですが、まだ保育園生活も始まったばかりで今後どれだけ風邪をもらってくるかも分かりません。
病児保育も調べているし幸い家に近い場所にある。
空きがあればこちらを利用したい。
両親が都合が良ければ預けることも出来る。
でももし両方ダメなことが連続したら?
考えても仕方ないことなのに、ずっと考えてしまいます。
そうなる可能性は、現時点の様子を見る限りかなり低いはずなのに。
休まざるを得ない日が多くなってしまったら、その分を何かカバーする方法を職場に相談したらいい。
もし本当にそうなって居づらくなったとしたら、その時に考えたらいい。
起きていないことを悩むより、病児保育の制度をよく調べ、両親によく頼み、今できることをする。
よく考えたら子供だけでなく自分だってダウンする日はあるんだから、確率を減らすために健康的な生活を送る。
これは面接に通ってから悩むことですよね。
落ちるのが怖い
「やってやる!」というパワーが湧いてきません。
生活が変わるのが怖いんだと思います。
人間は大人になるにつれ変化が怖くなりがちな生き物ですが、私は子供のころから挑戦することは苦手。
完璧主義で、失敗が怖いから。
完璧主義で踏み出さないほどつまらないものはないです。
失敗するくらいなら挑戦しないという思考回路は大人になってからの努力でかなりマシになった。
でも「面接に落ちる」=「自分を否定される、要らないと言われる」気がして踏み出せない。
子供には「失敗していいんだよ」「ナイスチャレンジだったね、勇気出したんだね」と言っているくせに自分になると勇気が出せません。
自分に対しては「失敗してもいいんだよ」と思うことってなかなか出来ないんですよね。
このまま面接に応募できなければ、いつまでたっても転職は出来ない。
でも、取りあえず面接を受けていればいつか受かるかもしれない。
あれだけ無理だと思っていた調停離婚を乗り越えたのだから、就職くらい……と思う自分もいる。
そもそも、面接に落ちる=自分は価値のない人間とはならない。
もし友人が面接に落ちたから自分には価値がないとしょんぼりしていたとしたら、「そんなことは絶対にない」というでしょう。
面接に落ちる=お互いにとってその場所が合わなかっただっただけの話。
落ちるのが怖いけど、落ちたら死ぬわけでもアプちゃんと暮らせなくなるわけでもありません。
落ちたってことは、自分に合った職場にまた一歩近づいたって捉えられたらいいのかな。
「応募せずに落ちない」ことと「応募して落ちた」だったら、後者の方が後悔は少ないはず。
新しい暮らしになじめるか怖い
もし職場になじめなかったらどうしよう。
私以外の元々職場に居た人たちがとても仲良しで、入る隙がなかったらどうしよう。
お金を稼ぐのが目的とは言え、一人ポツンが怖い。
3カ月後には慣れるのでしょうが、それまでやっていけるのか不安でいっぱいです。
もし馴染めなかったら、割り切るしかないでしょう。
ただ、それも3カ月後に考えること。
最初は新しい仕事に慣れるのに精いっぱいで、「なじめるかどうか」なんて気にするヒマはないはず。
今悩むことではない。
勇気を出して応募してみようと思う
「落ちる前提で」応募してみようと思います。
あわよくば雇ってもらえたらいいな~、くらいの期待度で行ければ自分の働き方に関する希望をしっかり言えそうな気がします。
とにかく「応募すること」以外のことは考えず、勇気を出して応募してみようと思います。
追記:応募してみました↓
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