夫の不倫発覚後に次々と出てくる女性問題や離婚調停に精神的な落ち込みがひどかった時期。
非現実に逃げてしまいたいほど、「辛い」と言う言葉では言い表せない人生初の感情を味わっていました。
社会再適用評価尺度によると「離婚」は人生で生じるライフイベントの中で上から2番目に高いストレス度で乗り越えるのに多大な心的労力がかかるもの。
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なので逃げてしまっても良かったのかなとも思う。
自分一人だけなら。
子供の世話からは逃げられなかった
不倫が発覚したとき、元夫は小さいアプちゃんの世話もせず、ばれた気まずさからかお酒に逃げて毎晩酔って現実逃避していた(酔ったら罵られるので怖かった)。
それを見ていつも「現実逃避したいのはこっちだ」「逃げたい」と思っていた。
現実から逃げずに済んだのは娘であるアプちゃんのおかげです。
もちろん彼女が優しい言葉をかけてくれるわけでもないし、家事を手伝ってくれるわけでもない。
なにせ不倫発覚当時のアプちゃんは歩き始めたばかりの赤ちゃんだったので。
ただ、お腹がすいたら食べ物を要求し、おもちゃを散らかし、外に行きたそうにし、いたずらをするから目が離せず、強烈に「日常」を送るように働きかけてくれた。
子供を育てていると、何があっても日常を過ごさないといけない。
だからこそ大人は助けられているのだと思う。
お世話しないと怪我したり死んだりしてしまう、その責任の重さからは逃げられない。
嫌々世話をしていたわけではもちろんないけど、逃げている暇なんてなかった。
いつまでも傷ついてられないし、無表情ばかりでいられないし、アプちゃんに出来る限り精神的な影響が出ないように出来ることを全部したい。
だからとても感謝している。
きっと子供がいなかったら早い段階で元夫のようにお酒等に逃げて現実逃避していたでしょう。
そうやって日常を送る努力をしているうちに心が普通に動くようになりました。
(でも当初は無表情で、考え事ばかりして向き合えていないことが多かったです。)
「僕は君たちを憎まないことにした」にみる日常の重さ
アントワーヌ・レリスさんの「ぼくは君たちを憎まないことにした」という本を読みました。
2015年に発生したパリ同時多発テロで奥さんをなくし、取り残された日常を1歳児と過ごす男性ご本人(=アントワーヌ・レリスさん)が綴ったノンフィクションです。
フェイスブック上に「僕は君たちを憎まないことにした」から始まる有名な文章を投稿した方。
(恥ずかしながら私は初めてこの文章を知りました。)
上記「社会再適応評価尺度」では、配偶者との死別はストレス度がダントツで一位。
私が離婚に至るまでに味わったことと比べたら比較にならない苦しさだと思う。
そんな中でも日常を回してくれるのは幼い息子のメルヴィル。
子供が寝た夜にどす黒い感情に浸ることが出来ても、子供が起きている間はどれだけ悲しくても辛くても子供のお世話をしないといけない。
メルヴィルのショックを受けた心のことを考えて、言葉を選び、親として態度を選ぶ。
メーターの検針の人の相手をしたり、ポストから手紙を取ったり、日常は続いていく。
非難すべき相手がいること、怒りをぶつける相手がいることで、半開きになったドアからすり抜けるように、苦悩を少しでもかわすことが出来るかもしれない。
「僕は君たちを憎まないことにした」より
憎しみに染まらないという決意をしたのはなぜだろう。
「息子と幸せに暮らしていく」ことが、自分なりの勝利だと感じたから。
いつもそんな気持ちでいられるわけではないけれど、決意してそれを何度も思い出すことで変わっていくことってある。
その部分に共感を覚えました。
もちろん子供のやわらかい心だって戸惑って傷ついていて、そんな子供に全力で寄りかかる親なんていない。
でも一緒にいてくれるだけで子供からとてつもない力をもらえる。
だから頑張っていける。
どんな悲しみの中にいても、強制的に日常を送らせてくれる存在と言うのはかけがえのない存在だと思います。
今の日常を大切にしたい
今後、思春期になってアプちゃんが反抗期を迎えたり、学校でトラブルが起きたり、色々あるかもしれない。
それでも彼女が大人になるまでの世界に私もいさせてもらえるなら、これほど幸せなことってない。
昔はそういうのきれいごとだと思っていたけど、経験すると子供は本当にすごいなと実感するよね。
自分が子供の頃には全く知らなかったけれど、子供って存在しているだけで凄いんです。
今の気持ちを忘れず成長を見守っていきたいです。
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