子連れ離婚を決意した理由と1年の変化を振り返る【離婚決意~調停離婚が成立するまで】

シングルマザーとしての日々

ブログを始めて早1年、離婚して数カ月が経ちました。

同状況でがんばっている方のブログに勇気をもらい、私のブログに来てくれる人たちに勇気をもらって前へ進んできた。

2019年は新しい門出の年になった。

離婚したことについて、後悔はありません。

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離婚を決意した理由

元夫と結婚した理由は「自分が弱かったから」。

離婚を決意できた理由は「娘がいたから」です。

入籍して一緒に暮らし始めた途端別人になった典型的タイプの元夫。

当時、元夫が入籍前から不倫・出会い系・出会い系カフェetc…をしているやばい人ということに全く気付かず、「いい夫」だと信じようとしていました。

しかも「良い人と結婚出来て何て幸せなんだ!」と信じて疑わなかった

私も心の弱い人間だったから元夫の求める「完璧な良い妻」ではなかったので、引け目も感じていました。

(「こんな私と結婚してくれたんだから我慢しないと」という感じ。)

「つわりなんて存在しない」と思うタイプだった元夫が私が体調が悪いと機嫌が悪くなるのも、「仕事をしてくれて疲れているんだから、体調不良を表に出した自分が悪い」と思うようにしていた。

都合の良い育児しかしない(機嫌がいい時に抱っこする、人目があるときだけ世話をする等)で自由時間はほぼ家にいない様子だって、

「世の中には抱っこすらしない夫もいるのに、子供を抱っこするなんてなんていい夫何だろう。これ以上育児を求めてはいけない」と感じていた。

今ではそんな自分が信じられない。

不倫等が発覚していなければ、今でも自分で自分をだましてそうやって暮らしていたかもしれません。

ぞっとする。

だから不倫が発覚して良かった。

「気に入らないなら出ていけ」

「不倫がそんなに悪いのか」

「お前生まれつきの精神病」

と散々に言われても当初離婚を容易に選択できなかったのは何より娘がいたからです。

元夫も「自分が何をしても離婚なんてされるわけない」と思っていた気がする。

離婚を強く意識したきっかけ

でも、ある日そうやって怒鳴られたときに「もういいかな」と感じてしまいました。

元夫が怒鳴り散らしている時に娘(当時2歳)が見たこともない辛い表情で泣いて私から離れず、以降精神的に不安定になってしまったからです。

「自分が我慢して家族を続けるのが娘にとってもいいことなんだ」

そう思ってた当時の自分は娘が怯えている様子を見てようやくハッとした。

離婚しないでいる当時の状況より、離婚した方が私も娘もきっと幸せでいられる

家族に離婚を強く反対されてはいたけれど私自身ももう限界でした。

外に向けては「何も問題ない家庭」を演じるのも疲れていました。

(元夫の不倫については当初は友人には相談できていなかった。)

離婚を実行できた理由

約1年も踏み切れなかった離婚になんで踏み切れたんだろう。

相手を信用する努力に疲れてしまったというのが大きい。

娘に人格否定する言葉を(たとえ私に向けられた言葉だとしても)浴びながら成長してほしくなかった。

いろいろあるけど一番はやはり、娘のおかげで実際に離婚を選択して実行に移せたのは、自尊感情が結婚当初よりも比べ物にならないほど高くなっていたからです。

元夫の不倫から立ち直れたのは、強制的に日常を回してくれた娘がいたから
辛くてたまらない時にどれだけお酒や非現実に逃げたくてもそうしなかったのは、赤ちゃんだった娘の世話をする責任からは逃げられなかったから。「どんな時でも日常を送る」というのはそれまでの自分が考えていたよりもとても大切なことでした。

モラハラ系の人と結婚してしまう人は、どこか自己肯定感が低い節があると思っています(私含め)。

何か相手に対し違和感を抱いても相手にそれを伝える自信がない

だから自分が我慢すればいい

自分の意見が正しいわけがない。相手に合わせるのが最善。

そういうところ、元夫にきっと見抜かれていたし結婚前に克服しておかないといけなかった自分の課題・悪い部分だったと思うのです。

赤ちゃんは親を全肯定してくれる。

こんな素敵な娘がこれほど自分のことを必要としてくれる。

そんな環境にいて、気付けば昔からずっと感じていた「なんとなく消えてしまいたい」という感情はなくなってたんですよね。

全肯定を体験したら、私も娘にそれ以上に出来ること全部を返したいと思った。

娘が肯定してくれるのに相応しい親でいたいです。

別居後から離婚を経た生活の変化

「離婚したい」と言った時、帰ってきたのはやはり「やり直したい、一からやれば出来るはず」と言う言葉でした。

その後さらなる暴言等いろいろあって娘を連れて別居を開始。

短時間勤務で働いているけれど、保活が上手くいかずフルタイムに移行できていません。

別居後は解放感からか体調を崩したりしたけれど、少しずつ今の暮らしに慣れていって娘も不安定な言動は全くなくなり毎日パワフル

毎日たくさん一緒に笑っています。

ただ、面会前後はまだ少し不安定気味。

離婚後すぐに子の氏の変更手続きをしました。

2週間ほどかかるので、同じ苗字になった時は嬉しかった

あの嬉しさはずっと忘れないと思う。

離婚後は名義変更に追われ、細かい部分は未だにまだすべて完了していません。

離婚後苗字を変えたら色んな反応が返ってきた|いちいち傷ついていられない
離婚とともに苗字を元に戻してはや数カ月。要所の苗字変更はほぼ終わりました。離婚成立前に行ったきりの医療機関の診察券やらたまに送られてくるメルマガ等の細かいあたりはまだ全て変更しきれていません。ひとつずつ随時変更して...

離婚が成立するまでにしたこと

弁護士さんに頼るなんて人生で初めて、相談機関に離婚について相談するのも初めて

元夫のタイプ的に、弁護士さんに頼んだのは大正解でした。

「外では人当たりが良いが家ではモラハラ系」の配偶者と離婚調停をするのなら一度弁護士さんに相談されることをお勧めします。

残してきた荷物を取りにいくまでにひと悶着あったけれど、今思えばあの時頑張って良かったです。

調停が成立するまではずっと心の底で不安が渦巻いていました。

それが今では元夫と同居していたことが嘘みたいな感覚に陥っています。

でも離婚成立後はイライラしやすく、不安定でした。

時が解決する部分も大きいけど、無理をし過ぎず「辛い時は辛い」と素直に認めたら良かったなと思う。

新しく始めたこと

ラインモバイルを契約してほぼラインペイのポイント分で通信費を支払うことで、通信費が激安に。

(先月分は1294円をポイントで払い、実費は51円だけ)

ずっと気になってたプロジェクター生活も始め、タブレットデビューをして、アマゾンプライムで映画や音楽のある暮らしを満喫しています。

アレクサも導入。今後少しでもアプちゃんと心穏やかに関わる時間を増やすためにスマートホーム化を進めていきたい。

楽天証券も始めました↓

自分で選んで自分で決める。

それがこんなに幸せなことだって離婚して初めて知りました。

今年の目標

別居に向けてかなり断捨離したとはいえ、まだまだ物を減らして身軽になりたい。

そして2019年が「離婚の年」なら、2020年は「お金の年」にしたい。

ブログを始めた当初は毎日辛くて耐えてばかりの毎日だったのが、今はこんなに幸せ。

もちろん不安も課題もたくさんある。

でも「離婚」が課題の中心だった1年前から見たら、「保活」や「今後の生活」に悩む今の方が先へ進んだなと思う。

1年間頑張って良かった。

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